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ケシが栽培されていた一帯は1968年から中国共産党が全面的に支援するビルマ共産党の支配地域でしたが、中国が手を引き89年ビルマ共産党が瓦解、ビルマ共産党の支配地は、コーカン、ワ、ムンヤンの3地区に割れ、それぞれ自前の軍隊を持ちました。ミャンマー政府はすばやい対応でこの3地区の指導者と和平協定を結び、以後周辺のその他の少数民族を含めさまざまな懐柔策を進め、ようやく96年になってミャンマー政府は、国際世論に押される形でケシ追放に乗り出しました。ようやく、ケシ撲滅に乗り出せる体制が整ったともいえます。

○1996年
ミャンマー政府から日本政府に要請があり、当時、日本蕎麦協会の会長だった加藤紘一・自民党代議士が中心になって「ソバをケシの転換作物にし、できたソバは日本が買い取る」という日本の海外援助計画のアイデアがまとまりました。
先進諸国が民主化を要求、経済制裁をしている中でミャンマーのケシ撲滅と取り組んだ最初の具体的なプロジェクトでした。

氏原博士はこの年、外務省などの要請で4回にわたってミャンマーを訪問、日本産ソバを試験栽培、ソバがこの地の適作と確信し、この旨日本政府に報告しました。同年、ミャンマーの国境省、農業省から3人の研修生が来日、信州大学で研修をしました。

○1997年
プロジェクトの対象地域がシャン州最北のコーカン地区と決まりました。南部のワ地区は反政府勢力が依然強く、シャン州最大のケシ生産地でありながら除外されました。

JICAがプロジェクトに参加、氏原博士はJICA専門家として派遣されるようになり、コーカン軍、モンコー軍代表らと折衝を重ね、ソバプロジェクト推進の合意に達しました。同年、信州大学の女子学生10人が参加、標高2,000メートル地点で1.8ヘクタールの試験栽培を実施。

○1998年
コーカン、モンコーなどで80ヘクタールを栽培。収穫した一部を日本に持ち帰り品質、食味テストを実施。

○1999年
氏原博士は、信州大学を退官、JICAの長期専門家として、以後2003年まで4年間、シャン州の中心都市、ラショーに駐在。

ラショーのJICA事務所には、JICAの現地スタッフとして新たに3人が前後して加わり、スタッフは氏原博士を含め4人に。現地農民の栽培技術指導を本格化させ、栽培面積を800ヘクタールに拡大。19トンを日本へ輸出しました。

○2000年
プレモンスーン(4~6月)の栽培に成功して60トンの種子を確保。これで日本のソバプロジェクトは関係者の間で信頼を増しました。

日本から輸入した種子と雨季前の増殖で得た種子(いずれもキタワセ)で、栽培面積を1,200ヘクタールに広げ、54トンを日本に輸出。

○2001年
栽培面積1,664ヘクタール、前年と同じく54トンを輸出。ソバ農家のリストを作成したところ、2,000世帯を超えていることがわかりました。

○2002年
栽培面積1,664ヘクタール、537トンを集荷、うち75トンを輸出。これまで日本側の主な買取先だった(社)日本麺類業団体連合会が買取を終了し、民間商社が引き継ぎました。

○2003年
栽培面積980ヘクタール、90トンを輸出。輸出は年々伸びているとはいえ、集荷量に比べると大幅な伸びとはいえず、一方でミャンマー政府はケシ取締りを強化しました。このため、農民の貧困が目立ち始める。栄養不良からマラリアによる死亡者、不就学児童が増大。ソバがケシの代替作物となるには日本が買い付けるだけでは、十分でないことがはっきりしました。

一部では、規制が進んでいないワ地区に出かけてケシの栽培をする者、山中に隠れてエフェドリンなど覚せい剤の製造に手を染める者も出てきました。

ミャンマー産ソバの消費拡大に、国内消費を図ろうと計画が持ち上がる。氏原はJICAを定年で退職しました。

○2004年
栽培面積970ヘクタール、輸出36トン。氏原博士は長野県に協力を要請、JICAにも働きかけ、JICAの協力でミャンマー第二の都市、マンダレーに製粉と乾麺の試作工場ができました。この工場ではそばクッキーも作り、WFP(世界食糧計画)が550万円分のそばクッキーを買い入れ、貧窮している農民に配布しました。

10月、シャン州の少数民族との和平を推進、実力ナンバーワンといわれ、ソバプロジェクトの推進役でもあったミャンマー政府のキン・ニュン首相が突然、解任逮捕されました。

○2005年
氏原博士は1月にミャンマーに入り、ミャンマー政府内部にソバプロジェクト中止の動きのあるとの情報を入手、ソバプロジェクトを民間サイドで支援するために日本でNPO法人を設立する準備を進めていることを伝え、買取を約束しました。

これが功を奏したのか、プロジェクト中止のうわさは消え、ミャンマー政府は、ソバプロジェクトを継続、全部で54トンを買付け、内36トンを日本へ輸出しました。

7月日本において、氏原暉男を理事長としてNPO法人アジア麻薬・貧困撲滅協会設立。

9月、NPOとして栽培指導を継続。


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